パク・ジヘ「Lepidoptera」

会期:2021年7月9日(金) - 8月8日(日) 13:00-19:00

会期中の金土日開廊

venue:FINCH ARTS

企画協力:紺野優希

Flash, 2021, H60.6 x 60.6 cm, acrylic and oil on canvas



 この度、FINCH ARTSではパク・ジヘ個展「Lepidoptera」を開催いたします。

 <Lepidoptera>とは、蝶や蛾などの鱗翅目の昆虫を意味し、 本展では雨と感染症の続く中、アーティストがアトリエで見つけた蛾をモチーフにしたペインティングを紹介します。昼の時間に一匹だけ飛ぶ蝶や、明かりによせられて来た蛾をイメージと形にし、外と室内が混ざり合う様子が現代的な色彩とモチーフによって描かれます。本展は今後の活躍が期待されるパク・ジヘの日本初個展となります。どうぞご高覧ください。


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「불」の関係網の渦へ



「불(プル)」という韓国語がある。この単語には二つの意味があるのだが、「火」と「電気」という意味だ。同じ単語を使いながらも、会話によってそれぞれ火や電気を指したりする。強いて言うなら、「불」は日本語の「明かり・灯り」だろう。しかし、周りを明るくする行為ではなく、元素的なものに意味が重なっている点で、「明かり・灯り」と訳す以上に面白い意味合いとなっている――火は電気となり、電気はまた火にもなるからだ。


パク・ジヘの作品を初めて見たのは、『PACK2019:冒険!ダブルクロス』(Post Territory Ujeongguk/韓国ソウル、2019)という企画だった。キューブ状のショーケースに作品を陳列するこの企画で、パク・ジヘは人物と鳥を象ったオブジェを展示した。蛍光色のアクリル絵具と毛糸を使って制作されたオブジェは、キューブに内蔵された照明を受け、色彩感がより一層際立っていた。翌年には、個展『電気カーペット・マニア』(Gallery Meme/韓国ソウル、2020)が開催された。出展作は電気カーペットをはじめ、電化製品と共に暮らすアーティストの日常を描いたペインティングだった。スマートフォンのライトや電気ストーブの光は扇状や帯状となり、人物や作業場の風景に重ねられている。キューブの中の照明はホワイトキューブの照明に代わったが、色彩感が失われることはなかった。人工的な光はキャンバスという画面の中に色彩感を伴って視覚化され、はっきりと引かれた境界線・輪郭と配色によって、画面全体に渡って色彩感に強弱が与えられている。


二つの展示において色彩感は、作品の外から受ける光と、作品の内に描かれる光の描写の両者によって、活き活きとした印象を見る者に与える。パク・ジヘの作品において「光」は、生活の中で感じ取る光とそれをキャンバスに描いたもの、さらに作品の展示される環境という、異なる空間と結びつくことになる。そのような特徴は、今回の個展でも見て取れるだろう。『Lepidoptera』では、光だけでなく、その原因でもある火(<消えない炎>)と電気(<Flash>や<雷を掴んだ人>)、さらにはこれらがもたらす周りの関係までに展開している。それは冒頭に述べた「불」の関係網と言い換えられるだろう――雷や太陽といった自然光と、室内灯やスマートフォンなどの人工の光、それに引き寄せられる蝶や蛾と人間たち、光を象ったり画中で光となる筆遣い、それらを照らす展示会場。


四季が日本とほとんど重なる韓国から会場に運ばれたのは、私たちの身の周りで近頃よく見る光景でもある。電気カーペットの季節とは真逆の時期に開催される展示で、パク・ジヘのペインティングは、どのように人々を手招くのだろうか。会場で飛び交う蝶や蛾、室内と屋外、昼と夜の景色は、アクリル絵具と油絵具を用いた色彩感と、ホワイトキューブという空間に設置された人工の照明によって、煌きを増すだろう。元素的な火・電気というモチーフが、色彩というこれまた元素的なものによって、会場でどのように輝くのか。その「불」の関係網の渦に、一度引き寄せられてみてはいかがだろうか。(文:紺野優希)



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パク・ジヘ|Jihye Park|박지혜

大韓民国ソウル生まれ、中央大学美術学部西洋画・同大学院西洋画学科を修了。 現在ソウルで油絵とアクリル絵画を描いている。生活における自伝的な経験と創作の世界の表現を試みている。「電気カーペットマニア」(Gallery Meme/韓国ソウル、2020)、「絵の回収」(Artbit Gallery/ソウル、2019)など、これまで4回の個展を開催し、多数のグループ展に参加

www.jihyepark86.com


<CV>


Education

2014 M.F.A Course in Fine art Chung-Ang University, Korea

2010 B.F.A in Chung-Ang University, Korea

Solo Exhibitions

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2020 <Electric Pad Mania>, Gallery Meme, Seoul, Korea

2019 <Collecting Paintings>, Artbit Gallery, Seoul, Korea

2013 <Monumental day>, Gallery POS, Seoul, Korea

2012 <Season of emotions>, Art space Scalatium, Seoul, Korea

Group Exhibitions

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2020 <ZEROBASE>, SeoulAuction, Seoul, Korea

2019 <STAR; Start Of Point The Starry Time >, Daegu EXCO, Daegu, Korea

2019 <2019 PACK: Adventure! Double Cross>, Post Territory Ujeongguk, Seoul, Korea

2018 <The 3th A1 rising artist>, Kum Boseong Artcenter, Seoul, Korea

2017 <Naver x Printbakery-only. pure. art>, Printbakery, Seoul, Korea

2016 <Carnival_as_usual>, 189hongfugallery, Suzhou, China

2016 <日常以上>, Naver, Bundang, Korea

​2015​ <Kotasu drawing>, Riverwiew 8th Avenue, Seoul, Korea

2015 ​<Sensitive chatter>, Gahoedong60, Seoul, Korea

2014 <A1 rising artist>, ​Insaartcenter, Seoul, Korea

2013 <A mass of customers>, Gongpyeong, Gallery_Seoul, Korea

2012 <COCCON>, Space k, Gwacheon, Korea

2011 <New Generation art star exhibition>, Seoul Arts Center_Seoul, Korea

2011 <TeamPrivew-Preview>, TeamPrivew, Seoul, Korea

2009 <SEIKEI, CHUNG-ANG Art exchange exhibition>, Japan Cultural Center_Seoul, Korea


展覧会記録

撮影:前谷開

Photo by Kai Maetani

撮影日:2021年7月8日

©Park Jihye, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS



レビュー


イメージの生き生きとした様態*:あらゆるものが生のもの**として送り出されるとき

パク・ジヘ個展«Lepidoptera»(2021.7.9-8.8, FINCH ARTS)


紺野優希


パク・ジヘの個展«Lepidoptera»を訪れた観客から、「真面目に絵をやっている」という感想が聞けた[1]。ここでは褒め言葉の代わりに、「絵をやっている」という表現の現在進行形と現在完了形の時制に注目したい。現在完了の意味で、絵画は鑑賞者に完結した状態として判断される。他方、現在進行中の意味では、ペインティングは描かれている途中と判断される。筆者は後者を先に考察し、その後改めて前者に注目してみたい。では、現在進行中の絵画とはなにか。それは、絵画を絵画[=ペインティング]として見せるという点で、絵画の形成過程の観点から考えられる。だからといって、それはアーティストによるライブ・ドローイングを指す訳ではない。本展では会場にアーティストが在廊できず、また仮に在廊していたとしても、展示中の絵をその場で描き続けていることはなかっただろう。


だとすれば、絵画は如何にして現在進行中となるのか。それは、アーティストによる遂行的な・パフォーマティブな経験や鑑賞者の現在的経験に重点が置かれるのとは別ものである。あるものがあるものに翻訳される、つまり材料(絵具、形)がある対象を指し示す移行過程(結果的には、表象)を経て画面上に展開される際に、絵画は現在進行中の様態を示す。何でもない形が形状を成し、ある対象になる。絵画はその過程で、進行中の性格を帯びる。鑑賞者は作中に描かれたアトリエをはじめ、ある対象となる前の段階の形――生のもの[原材料]として現れる――を目の当たりにする。「蝶のモード」ではパレット上の絵具、「黄色い顔」では粘土のような塊として描かれる生のものは、ある対象となる前段階、その対象を指し示す前段階に置かれた形態といえるだろう[2]。ところがその形態もまた、ある再現された対象であるという事実に直面する。「蝶のモード」で絵具は、画面上で絵具以上のものとして、画面の中に絵具の再現として逆説的に描かれる。見ると、パレット上の絵具は絵具そのものとして顕現しながらも同時に、絵具を再現したものとして表れる。


パク・ジヘの作品は、生のものを材料的属性に回帰する代わりに、イメージという段階で扱っている。絵具として顕現し・再現された作中の絵具は、材料という事実を否定することなく、再現の段階へ同時に進展する。イメージの段階において再現・顕現の関係は、絵具だけでなく作中に描かれたもう一つの(複数存在する)画面も同様である。「6匹の蛾とティモ」や「蝶のモード」、「陣取りゲーム」、「蝶の採集」には、(複数存在する)他の画面が画中に存在している。作品の中で、この(複数存在する)画面は、絵具で再現されたものでありながらも同時に、いやその前段階から、ある対象を再現する(再現するための)媒介役割となる。(複数存在する)画面は、絵具の顕現 - 再現の関係と反対方向の、つまり再現 - 顕現の関係として働く。作中の画面は、ある対象のふりをして[キャンバスを含む]画面に・画面として表れる。一般的に鏡やスマートフォン、額に映るイメージは、それ自体が実際の対象ではないが、対象そのものとして視覚的に伝えられ、転送される。したがってアーティストの作品において重要なのは、一般的な意味で結び付けられやすい「絵具や形、塊=生のもの」の等式ではなく、イメージはあらゆるものを再現したものとして、言い換えればーー翻って、あらゆるものを生のもの[原材料]とみなす点である[3]。したがって作品は、「描く」すなわち「描いている真っ只中」というリアルタイムな遂行(過程)――材料的な性質の形態や絵具からある対象に進展するーーではなく、[キャンバスや鏡、スマートフォンという]画面に「描かれた」、つまり視覚的に模倣/シミュレーションされ、「すでに移送されたもの」からはじまる逆行過程を介してこそ、「絵ををやっている」と言うことができる。


イメージの段階とは、ある対象を視覚的に伝達する過程の結果である。それは(絵具や形態の/による材料的)再現 - 顕現、あるいは(複数の画面への/としての)顕現 - 再現の関係だけでなく、最終的にアーティストが作品で中心的に扱う火 - 光***にも当てはまる。火 - 光は究極的にあらゆるものを生のものにしてしまう。火 - 光は、形のないものでありながらも輪郭を伴い、形を変え、対象に溶け込む。それだけでなく、可視化し伝達する条件でありながらも、侵食することで対象を火 - 光のように抽象化する。対象を視覚的に表す条件であると同時に、対象を侵食する火 - 光は、すべてを「薄っぺらい(/)塊」に、「継続的に保たれる(/)印象」に変える力も備えている。火 - 光を浴びると、型や色、そして対象は姿を変える。 「Flash」でフラッシュを受けた顔は一瞬で色面に変わる。一方、「雷を掴む人」では、雷を手に取ることは不可能だが、瞬間的に残され・記録され[象られ]た形は、今にも手で掴めそうなまでに具体的だ[4]。火 - 光は、あらゆるものをイメージに変えてしまう。つまり、[ある対象を]視覚的に見えるようにするだけでなくシミュレーション=再現し、抽象化する。パク・ジヘの作品は、火 - 光の下のイメージの段階において、生のものに形態を与えてある対象を作り出す力と、生のものにいつでも仕立て上げる力が共存する点を捉えている。この二つの力こそ、根源的なイメージの生き生きとした様態、イメージから展開される生き生きとした様態だ。材料的な属性に帰結する生のものや、捉えられた・捕らえられた対象のどちらか一方ではなく、絵画の形成過程を現在進行中・現在完了の時制として捉えることで、より根源的に作り出される生のものをイメージの生き生きとした様態から感知できるだろう。



*生き生きとした様子(생생함):真新しさや新しさとも言い換えられるかもしれないが、ここではヴァイタリティに近いニュアンスとして用いている。光を浴びることで対象の物質性が失われたり、モニターに映し出された映像が動きを伴っていることは、イメージという段階にて火 - 光を介して翻訳され変貌した結果として、両者共に生き生きとしている。


**生のもの(날것):加工されていないものという意味で、絵具や色彩や形態のような原材料とも言い換えられる。だが、本文にもあるように、イメージにおいて、あらゆるものが再現における原材料と化すという点で、ここでは生のものと訳した。物質的な側面と表象の関係については、ノ・ウンジュ(노은주)のペインティングにも当てはまる。ノ・ウンジュのペインティングについては拙稿を参照。콘노 유키 「이미지 세우기―수평적으로 열어 놓기: 노은주 개인전 《Walking―Aside》」(https://eunjoorho.com/text-_-2)


***火 - 光:本展に寄せたステートメントにも書いたように、韓国語で火と光は共に「(プル)」と言う(例:電気をつける=불을 켜다、火が燃える=불이 타다)。

[1] 会場での観客と交わした内容や、SNS上の反応から。 [2]前回の個展『ホットカーペットマニア』の出展作「野外スケッチ」(2019)なども同様。 [3] これは先の個展と同名のタイトルでもある作品「絵の回収」にも当てはまる。 [4] 『ホットカーペットマニア』の出展作でもある「ヒーターの王」(2019)や「ROOM」(2019)の扇状の光も同様に。


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이미지의 생생함: 모든 것들이 날것으로 내보내어질 때

«Lepidoptera»(2021.7.9-8.8, FINCH ARTS)


박지혜의 개인전 «Lepidoptera»를 방문한 사람들 중에서 “제대로 페인팅(회화)를 한다-하고 있다[1]”라는 소감이 나왔다[2]. 칭찬에 주목하는 대신, 여기서는 현재 진행(중)과 현재 완료의 시제에서 그 의미를 고찰하고 싶다. 현재 완료 의미에서 봤을 때, 이미 페인팅으로 결과물이 다 나온 상태를 보고 감상자는 그렇게 판단한다. 한편 현재 진행 중의 의미로 볼 때, 페인팅은 그려지는 중이라는 말이 된다. 필자는 후자에서 시작하여 다시 전자를 주목하고 싶다. 먼저 현재 진행 중인 페인팅이란 무엇일까. 이는 곧바로 페인팅을 페인팅으로 보여주는, 페인팅의 형성 과정에 대한 관점이 된다. 물론 이는 작가의 라이브 드로잉을 가리키지 않는다. 이번 전시에서 전시장에 작가가 없는 점은 물론, 설령 작가가 있다고 해도 그림을 막 그리는 중은 아니기 때문이다.


그렇다면 페인팅은 어떻게 현재 진행 중이 될까. 작가의 수행 경험이나 감상자의 현재적 경험에 무게가 놓이는 것과 달리, 무엇에서 무엇으로 번역되는, 바로 재료(물감, 형태)에서 어떤 대상을 가리키는 이행 과정(결과적으로는 표상)이 화면 위에서 전개될 때, 페인팅은 현재 진행 중인 양태를 보여준다. 그 아무것도 아닌 형태가 형상을 띠어 어떤 대상이 될 때, 그 과정에서 페인팅은 진행중의 성격을 띤다. 우리는 작품 속에 그려진 작업실 공간을 비롯해서 어떤 대상이 되는 전 단계의 형태를 목격한다. 이 형태는 날것으로 표현되는데 <나비 모드>에서 팔레트 위의 물감, <노란 얼굴>에서 점토 같은 덩어리로 묘사된다[3]. 날것은 이처럼 어떤 대상이기 전단계, 어떤 대상을 가리키기 전 단계에 위치하는 형태라 할 수 있다. 그런데 한 발 더 나아가, 우리는 그 형태 역시 어떤 재현된 대상이라는 사실에 직면한다. <나비 모드>에서 물감은 화면에서 물감 이상의 것이 되는데, 역설적으로 이는 화면 안에 물감의 재현으로서 그려진다. 우리가 보기에 팔레트 위의 물감은 물감 자체로 현현하면서도 물감을 재현한 것이 된다.


날것에 대한 작가의 태도는 재료적 속성으로 회귀하는 대신 이미지의 층위에서 다뤄진다. 물감으로 현현-재현한 그림 속의 물감은 재료라는 사실을 부인하지 않으면서 동시에 재현의 층위에 진입한다. 이미지의 층위에서 재현-현현의 관계는 물감만 해당되지 않는다. 화면에 그려진 또 다른 화면(들) 또한 그렇다. <여섯 나방과 티모>나 <나비 모드>, <땅따먹기>, <나비 채집>에서 우리는 작품 속에서 다른 화면(들)을 보게 된다. 작품 속에서 이 화면(들)은 물감으로 재현된 것이면서 동시에, 아니 그 전부터 어떤 대상을 재현하(도록 하)는 매개 역할을 한다. 이 화면(들)은 물감의 현현-재현 관계와 반대 방향으로 시작하는, 즉 재현-현현 관계로 작동한다. 화면(들)은 어떤 대상인 체 하는 화면(들)로 나타난다. 일반적으로 거울이나 스마트폰, 액자에 비친 이미지는 그것 자체가 실제 대상 아니면서도 시각적으로 그 대상 자체로서 전달 또는 전송된다. 따라서 작가의 작업에서 핵심적인 것은 일반적인 의미에서 연결되기 쉬운 물감이나 형태, 덩어리=날것이라는 등식이 아니라, 이미지는 모든 것을 재현된 것으로, 바꿔 말해―거꾸로 돌아가 날것(바꿔 말해 원재료)으로 간주하는 점이다[4]. 그러므로 작품은 ‘그리는’ 즉 ‘그려가는 중’이라는 실시간적 수행(과정)―재료적 성격의 형태나 물감에서 어떤 대상으로 나아가는―보다는 화면들에 ‘그려진’ 즉 시각적으로 모방/시뮬레이팅되어 ‘이미 옮겨진 것’에서 시작하는 역행 과정의 측면에서 봤을 때 비로소 ‘페인팅을 한다-하고 있다’라고 할 수 있다.


이미지의 층위는 어떤 대상을 시각적으로 전달하는 과정의 결과이다. 이는 (물감이나 형태의 재료적) 재현-현현 또는 (화면들의) 현현-재현의 관계뿐만 아니라 궁극적으로 작가가 작품에서 중심적으로 다루는 불-빛 또한 마찬가지다. 불-빛은 극단적으로 모든 것을 날것으로 만든다. 불-빛은 그 자체로 형태를 소유하면서 동시에 모양을 바꾸고 대상에 스며들기도 한다. 뿐만 아니라 그것은 대상을 전달하여 보여주는 조건이자 동시에 대상을 잠식하여 불-빛처럼 추상화한다. 대상을 가시적으로 보여주는 조건이자 동시에 대상을 침범하는 불-빛은 모든 것을 한낱-덩어리로도 지속되는-인상으로도 만든다. 불-빛을 받을 때, 형태나 색감과 어떤 대상은 모습을 변할 수 있다. <Flash>에서 조명 빛을 받은 얼굴은 순간 색면으로 변한다. 한편 <번개를 잡은 사람>에서 번개를 손에 잡을 수는 없지만 순간적으로 기록된 모양은 손에 움켜잡을 수 있을 정도로 구체적이다[5]. 불-빛 아래에서 이미지의 더 넓은 층위는 모든 것을 이미지로 만드는, 즉 시각적으로 보이게 할 뿐만 아니라 시뮬레이팅하고 재현하고 추상화한다. 박지혜의 작품은 불-빛 아래 이미지의 층위에서 날것에 형태를 부여해서 어떤 대상으로 만드는 힘과 언제든지 날것으로 만들어버리는 힘이 공존하는 점을 포착준다. 이 두 가지 힘이야 말로 근원적인 이미지의 생생함, 이미지로부터 전개되는 생생함이다. 재료적 속성으로 귀결되는 날것이나 포착된 대상화의 어느 한쪽 아닌, 페인팅의 형성과정을 현재 진행중과 현재 완료의 시제에서 주목함으로써 우리는 이미지의 생생함 속에서 근원적으로 만들어지는 날것을 감지할 수 있다.

[1] 일본어의 ‘やっている’에 해당되는 이 문장은 문맥에 따라 ‘한다’의 상태와 ‘하고 있다’의 의미로 구분할 수 있다. 그런데 여기서 페인팅이라는 주어가 나왔을 때, 구분은 모호해진다. [2] 전시장에서 나눈 이야기나 SNS 계정에서 찾아본 반응에 찾아볼 수 있었다. 会場での観客と交わした内容や、SNS上の反応から。 [3] 지난 전시 «전기장판 마니아»에서 소개된 <야외스케치>(2019) 마찬가지로. 前回の個展『電気カーペットマニア』の出展作「野外スケッチ」(2019)なども、同様に。 [4] 이는 지난 개인전과 같은 제목인 작품 <그림수거>(2019)와도 연결된다. これは先の個展と同名のタイトルでもある『絵の回収』にも当てはまる。 [5] «전기장판 마니아»에 소개된 <난로왕>(2019), <ROOM>(2019)의 부채꼴 모양 또한 마찬가지로. 『ホットカーペットマニア』の出展作でもある「ヒーターの王」(2019)や「ROOM」(2019)の扇状の光も同様に。